村上 華岳 展(~5月22日) : 京都国立近代美術館

先週、見に行った村上 華岳 展」: 京都国立近代美術館


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って、美術館の外観をお見せしても、仕方ないのではありますが。

小雨の降る日だったので、
岡崎あたりも人出は少なめ。


5月12日(火)-5月22日(日)のうち、
展示替えが3期に分かれていて、私が見たのは、最後期です。

生涯での全作品2700点ほどのうち、
約300点(3期とも見れば)が一度に見られるのは、
もう私たちが生きているうちにはないことらしい。
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見づらいのですが、
チラシと入場券です。


昨秋、四条花見小路の「何必館-村上華岳展示室」で見た時には、
・静かな ・達観した ・寛容な そんな印象で、
「仏像を描く人ね」と思ってしまったのだけど、
今回 まとまった点数を見ると、また違う感想が出てきます。


●明治21年(1888)大阪市北区の武田家に生まれた「震一」は、
  7才から 神戸市花隈の 叔母の嫁ぎ先の村上家で育ち、
  13才で、実父が亡くなり武田家を継ぎ、
  16才で、村上家の養子となる。  ・・・事情が複雑そう。
幼年時代を色っぽい街で育ったので、椿や牡丹の絵たちも何だか艶かしいのだろうか。
花の絵の中には、
(これは「見ちゃいけない大人の絵を見てしまった」と10才の私なら思うだろうな)
と感じるような絵もあったりする。
美輪明宏氏の世界と共通する部分を、この時代の作品には感じます。

●20代は、仲間たちと会を組んだりするが、
 30代後半からは、もっと純粋に芸術と向き合うべきだと
 (喘息の療養も兼ね)神戸へ戻り、画壇とは交流せず創作する。
そのあたりからは、絵の中の艶かしさが影は潜め、
仏様の表情も慈悲深さを増していったのかな と感じます。

そして、その仏様の視線が、51才で亡くなる前 2・3年はだんだんと下向きになってくる。
次第に伏し目がちになっていったと見ることもできるけれど、
私が思ったのは、
きっとそれ以前には、民衆と共にある仏様を描いていたのが、少しずつ変化し、
晩年の村上華岳は、
少し高いところから より広く民衆を見守る仏様と共にあったのではないだろうか、ということ。
きっと、昇華していったのだろうと。


(何必館からは、たくさんの作品がこちらへ貸し出されているので、
 この「村上華岳展」の終了後・・になるのでしょうか)
何必館では、展示ケースのガラスなしで作品を見ることができます。
私は、今回の展示よりも、
静かな中で間を遮られることなく、直に触れられるほどの近さで見る方が好きですが、
この画家の背景や、書など他の様々な作品を見ることができ、とても楽しかったです。

【参考公式HP】
●村上華岳展 : http://www.momak.go.jp/Murakami_j.html
●京都国立近代美術館 : http://www.momak.go.jp/
●何必館 : http://www.kahitsukan.or.jp/
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by stutiyi | 2005-05-17 18:41 | 美術館・博物館・記念館  

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